代表理事 岡安直比からのお願い
2012年の夏、WWF(世界自然保護基金)の一員として初めてロベケを訪れ、この森に魅せられました。アフリカ中部の熱帯ジャングルで、ゴリラやボノボを護るために走り回って30年。孤児ゴリラの介護から政府への政策提言まで、あらゆるレベルの自然保護に関わってきましたが、さまざまな面で手つかずの森の最後の姿を残す、ロベケの美しさと類人猿たちの面白さから目が離せません。 いままでの自分の経験を活かし、このコンゴ盆地最奥の森と野生動物、そして地域の人々の暮らしを守ることを、ライフワークに思い定めたとたんのコロナ禍...カメルーン、ロベケ国立公園の支援に、ぜひお力を貸してください! |
世界2位の広さを誇る野生動物の宝庫、アフリカジャングルの奇跡
ロベケが位置するコンゴ盆地の北西端、最後の原生林を訪ねた30年前
サンガ川を挟み、東にコンゴ共和国のヌアバレ・ンドキ国立公園、北に中央アフリカ共和国のザンガ・サンガ保護地域と向かい合い、ゴリラ、チンパンジー、マルミミゾウ、シタトゥンガ、ヨウムなど、野生動物の宝庫として知られる世界自然遺産の一角を占めているロベケ国立公園。広大なコンゴ盆地北西端に、ほんの30年前まで手つかずの”処女林”だった熱帯ジャングルが広がっているのです。
その30年前の1992年に、お隣コンゴ共和国に2年の長期滞在で渡った岡安は、孤児ゴリラ・プロジェクトでの研究の前に野生ゴリラを知っておきたいと、まだ国立公園は影も形もなかったンドキの森で、3ヶ月間のテント生活を送りました。当時は地元の『森の民』バカ・ピグミーの人々も、ほとんど行ったことがない人跡未踏の地に仮住まいして、朝から晩まで純野生の動物たちを追いかける迫力は、まごうことなき原生の自然そのものです。
夜が明けきらない暗い密林の中で、あらゆる気配を聞き分け嗅ぎ分けながら、前日の泊まり場に急ぐ時の興奮、うまく出会えた時の感激。人を知らないゴリラたちは、高い樹上にいても時に恐怖の叫びを上げ、藪の中から威嚇の唸り声をあげます。「脅かしてゴメン」と謝りながら十数メートル後退して少しでも彼らをなだめ、せいぜい数分の観察時間を伸ばそうという涙ぐましい努力は、この積み重ねが次に繋がるという当時の高揚した期待感とともに、今でも懐かしくよみがえります。
ゴリラやチンパンジーだけでなく、何種類ものオナガザルが樹冠を渡り、足元には物音に驚いたブルーダイカーが駆け抜け、当時の森は生命の気配が充満していました。このジャングルでは人間はよそ者です。朝5時〜夕5時のゴリラ追っかけの「行軍」中はもとより、キャンプ周辺でもさまざまな野生の声が溢れ、ゾウまで雄叫びを上げることも。(うっかり襲われないように)「火を絶やさないでね」と、留守番のキーパーに念押しが欠かせません。獣道をたどっていけば、太さ30センチはあるニシキヘビの横断中に出くわし、巻き込まれないように離れて、しばらくどちらに進んでいるのか判然としないまま2時間待たされたり…。一つ一つが強烈な体験でした。
そして、そんなンドキのすぐ川向こうのジャングルに、20年後に舞い戻る日が来るとは…。
ジャングルの息吹をつなぐ、マルミミゾウが居なくなってしまったら...
中でも印象深く思い出されるのが、マルミミゾウの糞とそこから萌え出る多種多様なひこばえ。30メートル近い樹冠から、ゾウしか飲み込めない30センチもある硬いかぼちゃ型の果実や、差し渡し1メートルもあるサヤ豆がドサンドサンと落ちてくる、そのジャングルの構成員たちと地上最大の哺乳類の持ちつ持たれつは、鬱蒼とした密林の歴史を物語る何よりの証でした。それから30年のフィールドワークのあいだ中、マルミミゾウは健全な森の守護神であり、ゴリラの良き隣人でしたから、岡安にとっても彼らの保護は最優先事項でした。とはいっても、長年、あの巨大な体躯を誇るゾウたちは、地元の人々にとって日々の食糧として狩る対象ではなく、狩猟圧で動物が減ったジャングルでもゾウだけはいる、という状況だったのも確かです。
サンガ川を挟み、東にコンゴ共和国のヌアバレ・ンドキ国立公園、北に中央アフリカ共和国のザンガ・サンガ保護地域と向かい合い、ゴリラ、チンパンジー、マルミミゾウ、シタトゥンガ、ヨウムなど、野生動物の宝庫として知られる世界自然遺産の一角を占めているロベケ国立公園。広大なコンゴ盆地北西端に、ほんの30年前まで手つかずの”処女林”だった熱帯ジャングルが広がっているのです。
その30年前の1992年に、お隣コンゴ共和国に2年の長期滞在で渡った岡安は、孤児ゴリラ・プロジェクトでの研究の前に野生ゴリラを知っておきたいと、まだ国立公園は影も形もなかったンドキの森で、3ヶ月間のテント生活を送りました。当時は地元の『森の民』バカ・ピグミーの人々も、ほとんど行ったことがない人跡未踏の地に仮住まいして、朝から晩まで純野生の動物たちを追いかける迫力は、まごうことなき原生の自然そのものです。
夜が明けきらない暗い密林の中で、あらゆる気配を聞き分け嗅ぎ分けながら、前日の泊まり場に急ぐ時の興奮、うまく出会えた時の感激。人を知らないゴリラたちは、高い樹上にいても時に恐怖の叫びを上げ、藪の中から威嚇の唸り声をあげます。「脅かしてゴメン」と謝りながら十数メートル後退して少しでも彼らをなだめ、せいぜい数分の観察時間を伸ばそうという涙ぐましい努力は、この積み重ねが次に繋がるという当時の高揚した期待感とともに、今でも懐かしくよみがえります。
ゴリラやチンパンジーだけでなく、何種類ものオナガザルが樹冠を渡り、足元には物音に驚いたブルーダイカーが駆け抜け、当時の森は生命の気配が充満していました。このジャングルでは人間はよそ者です。朝5時〜夕5時のゴリラ追っかけの「行軍」中はもとより、キャンプ周辺でもさまざまな野生の声が溢れ、ゾウまで雄叫びを上げることも。(うっかり襲われないように)「火を絶やさないでね」と、留守番のキーパーに念押しが欠かせません。獣道をたどっていけば、太さ30センチはあるニシキヘビの横断中に出くわし、巻き込まれないように離れて、しばらくどちらに進んでいるのか判然としないまま2時間待たされたり…。一つ一つが強烈な体験でした。
そして、そんなンドキのすぐ川向こうのジャングルに、20年後に舞い戻る日が来るとは…。
ジャングルの息吹をつなぐ、マルミミゾウが居なくなってしまったら...
中でも印象深く思い出されるのが、マルミミゾウの糞とそこから萌え出る多種多様なひこばえ。30メートル近い樹冠から、ゾウしか飲み込めない30センチもある硬いかぼちゃ型の果実や、差し渡し1メートルもあるサヤ豆がドサンドサンと落ちてくる、そのジャングルの構成員たちと地上最大の哺乳類の持ちつ持たれつは、鬱蒼とした密林の歴史を物語る何よりの証でした。それから30年のフィールドワークのあいだ中、マルミミゾウは健全な森の守護神であり、ゴリラの良き隣人でしたから、岡安にとっても彼らの保護は最優先事項でした。とはいっても、長年、あの巨大な体躯を誇るゾウたちは、地元の人々にとって日々の食糧として狩る対象ではなく、狩猟圧で動物が減ったジャングルでもゾウだけはいる、という状況だったのも確かです。
その“常識”が覆されたのが、ロベケ国立公園を初めて訪れた、2012年夏のこと。
サンガ川を挟んでンドキと対岸にあるロベケの森は、30年前とあまり変わらない豊かな林相を見せるだけでなく、水草スワンプでは動物たちが観察台の人間をあまり気にすることもなく、ゆったりとカヤツリグサを食んでいました。森の中も起伏も少なく歩きやすく、サルたちもサイチョウも頭の上を飛び交い、エコツーリズムの無限の可能性を見出したその同じ旅で…。
ゾウの足跡や糞がごろごろしている、ジャンギのスワンプに泊まった晩。昼間は観察できなかった彼らも、夜には出てくるだろうという期待に見事にこたえて、登場したのは立派なオスゾウと10頭ぐらいの群れでした。でも、こちらのか細いペンライトの光に即座に反応し、「パオ―ン」という警戒の雄叫びとともに猛スピードでジャングルへ逃げかえっていきました。
そのとき「嫌な予感」が働き、「今はまだ健全なゾウの群れも、このままではどんどん数を減らしてしまいそうだ。この国立公園はその最後の砦になるべきだ」という確信の元に、所属していたWWFジャパンからの支援を開始しました。そしてその予感が裏付けられたのが2016年の調査報告で、ロベケでは過去の約10年でマルミミゾウは半減! 周辺の国立公園はさらに被害がひどく、70%減という悲劇が襲っていました。犯罪者が逃走しやすい国境沿いの保護区の管理の難しさ、しかも皮肉なことに、岡安も焼け出された1997年のコンゴ共和国の内戦で民兵に大量に配られたカラシニコフ自動小銃(AK47)が、取り締まりの厳しいコンゴを避けて闇ルートで持ち込まれて、今度は野生動物に甚大な被害を及ぼしているのです。この恐ろしい武器のせいで、ロベケ国立公園では過去2度に渡りレンジャーにまで犠牲が出てしまい、公園当局は村人の協力を得て摘発作戦を展開しました。しかし、子供でも簡単に組み立て・分解ができ、隠しやすく壊れないAK47の闇ルートは断ち難く、密猟防止のためにも地域の安全のためにも監視の継続は重要でした。
以来、WWFジャパン時代も、またWWFジャパンが4年で支援停止を決めたため、「ロベケの動物たちを守りたい」と岡安が他団体に移ってからも、日本の皆さまからは折に触れ大きな後方支援をいただいてきました。ありがとうございます!
サンガ川を挟んでンドキと対岸にあるロベケの森は、30年前とあまり変わらない豊かな林相を見せるだけでなく、水草スワンプでは動物たちが観察台の人間をあまり気にすることもなく、ゆったりとカヤツリグサを食んでいました。森の中も起伏も少なく歩きやすく、サルたちもサイチョウも頭の上を飛び交い、エコツーリズムの無限の可能性を見出したその同じ旅で…。
ゾウの足跡や糞がごろごろしている、ジャンギのスワンプに泊まった晩。昼間は観察できなかった彼らも、夜には出てくるだろうという期待に見事にこたえて、登場したのは立派なオスゾウと10頭ぐらいの群れでした。でも、こちらのか細いペンライトの光に即座に反応し、「パオ―ン」という警戒の雄叫びとともに猛スピードでジャングルへ逃げかえっていきました。
そのとき「嫌な予感」が働き、「今はまだ健全なゾウの群れも、このままではどんどん数を減らしてしまいそうだ。この国立公園はその最後の砦になるべきだ」という確信の元に、所属していたWWFジャパンからの支援を開始しました。そしてその予感が裏付けられたのが2016年の調査報告で、ロベケでは過去の約10年でマルミミゾウは半減! 周辺の国立公園はさらに被害がひどく、70%減という悲劇が襲っていました。犯罪者が逃走しやすい国境沿いの保護区の管理の難しさ、しかも皮肉なことに、岡安も焼け出された1997年のコンゴ共和国の内戦で民兵に大量に配られたカラシニコフ自動小銃(AK47)が、取り締まりの厳しいコンゴを避けて闇ルートで持ち込まれて、今度は野生動物に甚大な被害を及ぼしているのです。この恐ろしい武器のせいで、ロベケ国立公園では過去2度に渡りレンジャーにまで犠牲が出てしまい、公園当局は村人の協力を得て摘発作戦を展開しました。しかし、子供でも簡単に組み立て・分解ができ、隠しやすく壊れないAK47の闇ルートは断ち難く、密猟防止のためにも地域の安全のためにも監視の継続は重要でした。
以来、WWFジャパン時代も、またWWFジャパンが4年で支援停止を決めたため、「ロベケの動物たちを守りたい」と岡安が他団体に移ってからも、日本の皆さまからは折に触れ大きな後方支援をいただいてきました。ありがとうございます!
ゴリラ・エコツアーの秘める可能性とコロナ・パンデミック
自然豊かなロベケ国立公園の保全には、「野生動物観察のエコツアーを展開しジャングルの存在自体が公園とコミュニティを潤す」という自然保護の王道が活用できます。しかもここには、ゴリラとチンパンジーが同じ場所で観られるという、よそにない魅力がありました。岡安はその野生味を活かしたエコツアーメニューを考案し、2種とも観察できる世界で初めての場面を捉える努力を、公園当局、WWFカメルーンや地元メンバーとこの10年近く続けてきました。
通常のゴリラのツーリズム振興でも同じぐらい時間がかかりますが、残念ながらこのツアー開発はゴリラに対する興味と根気がもっとも必要な正念場で、コロナ禍に突入してしまいました。どんな解決策が可能なのか、継続して現地とも検討していますが、たとえばバーチャルサファリなど東や南のアフリカ諸国で使われ始めた新しい手法も、まだまだ発展途上のカメルーンではインフラ整備から課題です。しかしここでエコツアー振興策を諦めてしまっては、政府も地元の人々も失望して保護活動が瓦解してしまうリスクが日に日に増していきます。
また、周りにさらにゾウの密猟被害がひどい保護区が多いせいか、昨年、政府がまとまった数のレンジャーを異動させた結果、当局の密猟対策パトロールが人手不足に陥るという状況も生まれています。公園と周辺の森林・狩猟管理区の東側を、直接コンゴ共和国と中央アフリカ共和国との長い国境に接するロベケは、ただでさえ越境してくる密猟や違法伐採の取り締まりが大変です。コロナ禍で人の移動が減っている今は犯罪者には暗躍するチャンスであり、普段より一層、対策を強化する必要があるのです。
そこで公園事務所では、地元コミュニティから自警団や野生動物観察モニタリングのアシスタントを組織して密猟パトロールを派遣するなど、数が減ったレンジャーの穴埋めを工夫しています。当然、これにも活動資金が必要なのですが、レンジャー配備の縮小で政府予算もままならず、WWFカメルーンのロベケチームなど協力団体からの資金提供にますます頼らざるを得なくなっています。
UAPACAAパートナーズでも、この困難の中、今まで継続してきた密猟対策パトロールや野生動物の定点観察、またゴリラ・チンパンジー観察路の整備と継続観察が中断してしまわないよう、2021年からこのキャンペーンを立ち上げました。ようやくコロナのパンデミックが一段落しエコツアー復興に期待がかかる今、不足しはじめた活動資金を支援し、稀少なロベケ国立公園の野生動物たちが存続できるよう、皆さまのご協力をなにとぞよろしくお願いいたします。
自然豊かなロベケ国立公園の保全には、「野生動物観察のエコツアーを展開しジャングルの存在自体が公園とコミュニティを潤す」という自然保護の王道が活用できます。しかもここには、ゴリラとチンパンジーが同じ場所で観られるという、よそにない魅力がありました。岡安はその野生味を活かしたエコツアーメニューを考案し、2種とも観察できる世界で初めての場面を捉える努力を、公園当局、WWFカメルーンや地元メンバーとこの10年近く続けてきました。
通常のゴリラのツーリズム振興でも同じぐらい時間がかかりますが、残念ながらこのツアー開発はゴリラに対する興味と根気がもっとも必要な正念場で、コロナ禍に突入してしまいました。どんな解決策が可能なのか、継続して現地とも検討していますが、たとえばバーチャルサファリなど東や南のアフリカ諸国で使われ始めた新しい手法も、まだまだ発展途上のカメルーンではインフラ整備から課題です。しかしここでエコツアー振興策を諦めてしまっては、政府も地元の人々も失望して保護活動が瓦解してしまうリスクが日に日に増していきます。
また、周りにさらにゾウの密猟被害がひどい保護区が多いせいか、昨年、政府がまとまった数のレンジャーを異動させた結果、当局の密猟対策パトロールが人手不足に陥るという状況も生まれています。公園と周辺の森林・狩猟管理区の東側を、直接コンゴ共和国と中央アフリカ共和国との長い国境に接するロベケは、ただでさえ越境してくる密猟や違法伐採の取り締まりが大変です。コロナ禍で人の移動が減っている今は犯罪者には暗躍するチャンスであり、普段より一層、対策を強化する必要があるのです。
そこで公園事務所では、地元コミュニティから自警団や野生動物観察モニタリングのアシスタントを組織して密猟パトロールを派遣するなど、数が減ったレンジャーの穴埋めを工夫しています。当然、これにも活動資金が必要なのですが、レンジャー配備の縮小で政府予算もままならず、WWFカメルーンのロベケチームなど協力団体からの資金提供にますます頼らざるを得なくなっています。
UAPACAAパートナーズでも、この困難の中、今まで継続してきた密猟対策パトロールや野生動物の定点観察、またゴリラ・チンパンジー観察路の整備と継続観察が中断してしまわないよう、2021年からこのキャンペーンを立ち上げました。ようやくコロナのパンデミックが一段落しエコツアー復興に期待がかかる今、不足しはじめた活動資金を支援し、稀少なロベケ国立公園の野生動物たちが存続できるよう、皆さまのご協力をなにとぞよろしくお願いいたします。
野生動物にとっての主な脅威
・国境を越えて暗躍する国際密猟団と、25年前の内戦から今も残るカラシニコフ自動小銃
・地域コミュニティとの軋轢(畑荒しと報復、くくり罠による無差別捕獲の被害など)
・新型コロナのパンデミックによる地域振興の遅れと持続不可能な代替産業の新興可能性(野生動物の商業輸出などの可能性)
・地域コミュニティとの軋轢(畑荒しと報復、くくり罠による無差別捕獲の被害など)
・新型コロナのパンデミックによる地域振興の遅れと持続不可能な代替産業の新興可能性(野生動物の商業輸出などの可能性)
ロベケ国立公園で行われている保護活動とUAPACAAパートナーズの参画
<大型哺乳類の保護>
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<地域コミュニティとの協働による保全>
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